得体の知れない、触れてはいけない「空気」と「脱同一化」

先日、ジャニーズ事務所が開いた記者会見で、関連会社・社長の「イノッチ」こと、元V6の井ノ原快彦氏が、以下のような発言をしていました。
「・・・言い訳になるかもしれませんけども、なんだか得体の知れない、それには触れていけない空気というのはありました」。

この、得体の知れない、触れてはいけない「空気」とはなんでしょうか?

40年前に出版された『空気の研究』(文春文庫)で、著者の山本七平氏は、空気とは「まことに大きな絶対権を持った妖怪」「一種の超能力」「宗教的絶対性」であると述べています。
彼は、第二次世界大戦で、無謀と断ずるに至る細かいデータ、明確なエビデンスがあるにもかかわらず、戦艦大和は、「空気」を根拠として出撃したことを指摘しています。山本氏は、軍令部次長・小沢三郎中将が「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」と述べたこと(『文藝春秋、昭和58年8月号)を引用しています。

山本氏の説明によると、「最終決定をくだし『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に空気であって、それ以外にない」。また、海も船も空も知りつくした専門家の「論理・データ」よりも「空気」が勝って、出陣したとのことです。

そして問います。「戦後、この空気の威力は衰えたのであろうか」と。戦後78年たった今でも、答えはノーです。井ノ原氏の応答「得体の知れない、それには触れていけない空気というのはありました」は、空気という妖怪、超能力の威力が全く衰えていないことを、物語っています。

世間学を提唱した社会学者の阿部謹也氏は、日本の「家族」は、今でも最も近代化されていない領域の1つだ、と述べています。日本の家族は、前近代的で、専制主義的になりやすく、暴力や脅しや恥まみれになりやすい脆弱さを秘めています。そこには「そうせざるを得なくする力をもった、得体の知れない・触れてはいけない空気」が、蔓延しがちです。ファミリービジネスにおいては、ファミリー面だけでなく、「社会の公器」であるはずのビジネス面も、空気に支配されがちです。

ジャニーズ事務所の見解を受けて、海外メディアは、長年に渡る日本のメディア、マスコミ、スポンサー企業の「沈黙」に注意を向けています。
あなたは、「いじめの四層構造」について聞いたことがありますか? いじめや村八分が「持続」するには、「いじめる側」と「いじめられる側」という目につきやすい2つの立場だけでなく、そのやりとりを「嘲笑したり、はやし立てたり、あおったりする側」、さらには、その外側で、「見て見ぬふり、聞こえないふりをするサイレント・マジョリティー(「沈黙(傍観)」する多数派)側」の2側面を合わせた「四層」が必要だ、とする考え方です。
沈黙がなければ、得体の知れない空気、そうせざるを得ない空気は、「永続」しません。

さて、「せざるを得なかった」とは「強制された」を意味し、そこには自らのあるいは誰の意志もなく、誰の責任もない、となります。山本氏によると、強制したのは「空気」であり、空気に責任は追及できません。
臨床心理学者の河合隼雄氏は、日本人の精神構造を「中空」と考えましたが、精神のまん中が空っぽであれば、誰も責任を負うことができません。それどころか、空気に従わせざるを得なかった自分は、強制(空気)の「被害者」、とさえ思っているケースは、少なくないのではないでしょうか?

先述したとおり、空気は妖怪であり、超能力であり、宗教的絶対性でした。心理学的には、それは「共投影」あるいは「共精神病」と言えるでしょう。
あるスイス人精神科医が、面白い例をあげて、この共投影あるいは共精神病について述べています。今から約50年前、その医師のクライエントで、イギリスの某銀行のトップが、「アメリカの某銀行が、あるマネーゲームを仕掛けている」とセラピーオフィスで語ったそうです。同じ時期に、その医師の別のクライエントであった当のアメリカの銀行トップが、「イギリスの某銀行が、あるマネーゲームを企んでいる」とセラピー中に述べたそうです。その精神科医は、イギリスの銀行も、アメリカの銀行も、どちらもマネーゲームを仕掛けておらず、ただ相手が悪だくみをしているのではないか、とお互いに妄想しているに過ぎなかった、と述べています。
お互いが共に相手を悪く思い、自分の心の暗い「影(shadow)」(または否定的思惑)を相手に「投げ(project)」、「共投影」が生じていたのです。それは、「共妄想」であり、共精神病状態です。
共妄想や共精神病状態から、「陰謀論」が現れかねません。実際、その当時、イギリスとアメリカとの銀行間を起点とした陰謀論が生まれる危険があったと言います。

私たちは、山本氏が妖怪、超能力、宗教的絶対性と呼んだ得体の知れない、触れていけない「空気」、当時も今日も(大和の)特攻出撃を当然と思う「空気」、そうせざるを得なくしている力をもつ「空気」を、『投影』『精神病状態』『妄想』と考えます。
ちなみに、精神病状態や妄想に拘束されると、私たちは理性を失い、合理的判断ができなくなります。「論理・データ」よりも「空気」に従うようになります。

空気は、容易に「共精神病的」「共妄想的」になるため、取り扱いが大変困難です。空気は人を、集団精神病 / 妄想 / 狂気に、いつのまにか陥れます。空気については、こうした認識が欠かせません。なめては、絶対にいけません。早め早めの取り組み、介入が欠かせません。その支援を行うのが、ファミリービジネス・ファミリーセラピーです。

山本氏は、『空気の研究』の「あとがき」で、「人は、何かを把握したとき、今まで自己を拘束していたものを逆に自分で拘束し得て、すでに別の位置へと一歩進んでいるのである。人が『空気』を本当に把握し得たとき、その人は空気の拘束から脱却している」と述べています。

これは、「サイコシンセシス(心理統合)」という心理学の戦略そのものです。サイコシンセシスは、私たちが「無意識的に同一化」し拘束されているもの(たとえば空気)に対し、意識的になることで、「脱同一化」することをすすめています。そのことで空気を把握できるようになるのです。

ここでの問題は、どうすれば「空気」から脱同一化(=脱却)し、空気を本当に把握し得るかです。その鍵は、『脱同一化』です。あなたは、日本人を、また日本のファミリービジネスを長きに渡って妄想、精神病状態の中に拘束し、苦しめてきた空気からの脱却にご関心がありますか?  ”Yes” であれば、私たちとご一緒に取り組みませんか?

Top