パーパスとウエルビーイング

近年「パーパス(purpose)」が、経営の領域で話題になっています。が、”purpose(目的)”は、簡単なテーマではありません。
納得するパーパスを見つけるのに、何年も、いや何十年もの格闘の必要な場合が、ままあるからです。そう教えるのは、深層心理学者のC.G.ユング、実存心理学者のV.フランクル、トランスパーソナル心理学者のA.マズロー、R.アサジオリです。

その4人は、パーパスは「スピリチュアリティ」や「聖なるもの(the holy)」に関わっている、そして、スピリチュアリティや聖なるものに根差したパーパスには、生々しい「意義」や「意味」が伴う、また、そのパーパスは、社会や地球環境に拓かれているものである場合が多い、といったことを述べています。ユングとマズローは、スピリチュアリティと社会や環境と向き合う中での自分作りを、「自己実現」や「個性化」過程と考えました。その過程に、格闘や難儀は必須だといいます。

ここで、逸話を1つ、サイコシンセシス(統合心理学)からご紹介します。P.フェルッチ著『内なる可能性』を参照します。1人の女性の求道者が、真理を求めて長年の修行の果てに、ある洞窟に入っていって「井戸」を見つけるように、と言う声をどこからともなく耳にしました。「真理とは何か?井戸に問うが良い。井戸がお前に教えてくれるだろう」。
洞窟に井戸を見つけると、この求道者は質問しました。すると井戸の深みから返答があります。
「村の四つ辻に行くが良い。お前の探し求めているものが見つかるだろう」と。

希望と期待を胸に、女性は四つ辻に急ぎました。しかし、そこには何の変哲もない店が、3軒あるだけです。1つは金属片を商なっている店、2つは木材、3つめは、細いワイヤー(鉄線)を売っている店です。真理の啓示と、関係ありそうなものは何もありません。

失望した求道者は、井戸に戻ると説明を求めました。しかし「やがて、わかるだろう」という答えが返るだけです。
女性はバカにされた気がして、腹を立てたまま、再び真理探求の旅に出発します。何年もが経って、井戸の記憶が薄れた頃、ある夜に月の下を歩いていると、どこからともなく響いてくるシタールの音色に注意が向かいます。それはインスピレーションに満ちた技を極めた演奏です。

深く心を動かされた求道者は、奏者の方に引き寄せられていきました。弦の上を踊るような指を眺めていると、シタールの存在に気づきます。その時突然、歓喜が溢れ、彼女は悟ったのです!「あーそうだわ、シタールは、ワイヤーと金属片と木とでできてる!私が、かつて3つの店で見た時には、何ら特別な意味をなさなかったものたちよ!」そして思いました。「私は何て無知だったのだろう」と。

ついに、女性は井戸のメッセージをようやく理解したのです。彼女に必要なものは、すべて、既に与えられていたのでした。なすべき事は、それらを集め、「立体的に統合すること」でした。バラバラな断片を2次元で平面的に見ている限り、3つ(金属片、木材、ワイヤー)は、何の意味もなしません。しかし断片を立体的に統合し、「全体をなす」に至るや、新しい実体(真理)が出現したのです。その本性は、彼女が断片を見ていている限り、決して予見することはできないだろう、と言うことを。

お話は、そこまでです。が、その後、この女性はどうなったでしょうか?あなたはイメージできますか?

彼女は、シタール奏者になって、聖なる音色を奏でることを人生のパーパス(目的)にしたかもしれません。あるいは、シタールを売る楽器店を彼女のファミリービジネスとして始め、楽器販売ビジネスに、家族と共にパーパスを見出したかもしれません。または、彼女の求道仲間や弟子にシタールの音色を聞かせながら、心の立体的統合や全体性について説くことを、パーパスにしたかもしれません。

逸話では、「井戸」が大事な役を担っていました。「井戸」や「源泉」は、英語で”well(ウエル)”です。”being((ビーイング)”は、「存在すること」を意味します。”wellbeing(ウエルビーイング)”は、「井戸や源泉が存在すること」です。

私たちは、ファミリーセラピーで、ファミリーやファミリーメンバーの内面に、「そのファミリー独自の井戸の存在」するように、心を掘る支援を行っています。そうしてこそ、ユング、フランクル、マズロー、アサジオリのいう「スピリチュアリティと社会性のあるパーパス(目的、意義、意味)」を見出すことが、できるからです。その井戸は、ファミリーやファミリーメンバーの自己治癒、想像&創造、イノベーションの「源泉」となるでしょう。

あなたは「井戸の存在」を意図したウエルビーイングに、ご関心がありますか?「内なる井戸の存在」から、あなたのパーパスが聞こえるか、耳を澄ませてみてください。

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