関係療法:W.ビオンの技法を参考に
今回は、セラピーの1つの技法をご紹介します。
英国の精神分析医ウィルフレッド・ビオンを参照したものです。
ビオンは、セラピーを行う上で、哲学者エマニュエル・カントの「前概念(pre-concept)」を参考にしました。
「前概念」は、「考えられる前の概念」「未だ考えられていない思考」「考える人のいない概念」「考えることのできない考え」などと説明されます。
前概念は、見ることも、触ることもできない潜在的思考です。
そこに在るのですが、それについて考える人がいないので、顕在化していない思考です。
潜在的には「有」なのですが、肉眼には見えないので顕在的には「無」あるいは「空」です。
カントは、そんな前概念を「空の思考(empty thought)」とも呼びました。
潜在的で、未だ明確な形や姿(概念や思考)になっていないので、「空」の思考と考えられたのです。
ビオンによると、前概念や空の思考が顕在(実現)化するには、「豊かな関係性の中」で、『まず』(自分に代わって)「他人」に考えてもらう必要があります、
(それによって、前概念や空の思考について「考える人」が登場します)
そして『次に』、その他人の心の中で顕在(実現)化した概念や思考を、その人から自分に戻してもらうことが求められる、と述べます。
こうして前概念や空の思考は、本人の概念、自分の考えになります。
ところで、「考える人」とは、たとえばトレーニングを積んだ関係療法のセラピストです。
今述べた前概念は、いわば言葉にならない「心のうずき」です。
ふと何かを感じたり、直観したり、心をよぎったりするのですが、それが何かよくわからない。
そうしたうずきをそのままにしておくと、顕在化されず、フラストレーションを生むことになります。
うずきは肯定的な場合もあれば、否定的なこともあります。
たとえば否定的なうずきが心に沸き上がると、ある人は不愉快になって、そのうずきを瞬時に心の外へ「嘔吐」したり、「排泄」したりするかもしれません。
その嘔吐や排泄は、摂食障害、各種のパーソナリティ障害、解離、複雑性トラウマのある人に、まま見られるアクティング・アウト(行動化)です。
たとえば、あるファミリービジネス・オーナ&社長の心に、耐えがたい「空虚」さが『前概念』(=うずき)として潜在していたとしましょう。
その人は、空虚のうずきを感知すると、瞬時に否認するために、アルコールに手を出します。
うずきを忘れ、ごまかすため深酒をします。
妻や子どもに愚痴を言ったり暴言をまき散らしたり、泣きながら情けないことをネチネチと口走ったりします。
それを何年にもわたってされた結果、長女を残して、ファミリー内の誰も、その父親(ビジネス・オーナー&社長)と一緒に食事を取ろうとしなくなりました。
最近、その人の肝臓の具合が悪く、医者に飲酒をとめられているのですが、空虚がもたらす心の苦痛に耐えられず、酒をやめられません。
その人にとっての心の空虚さ(うずき)は、神経に直接触れられたり、刃物で刺されたり、岩のような固形物で叩かれたりするような、痛み、恐怖、不安を伴います。
その苦痛を瞬時に、万能的に麻痺させるために、酒に溺れています。
心の空虚さ(うずき)について、「自分で考えることができない」からです。
さて、その人が、関係療法セラピーを受けに来たとします。
その人の話を聞いていると、セラピストは心に「耐え難い痛みの伴う、しかし明確な言葉にできない空虚や穴らしきもの」を感知します。
セラピストはその感じを複数回のセラピーセッションを通じて何度も吟味し「よく考えた」後、クライエントに、「あなたの心に空虚さや穴があるのではないか」と、訊いてみます。
すると、クライエントは、「わかってもらえた」という感覚を得て、ホッとします。
心の空虚さや穴が、あるにもかかわらず。
空虚や穴はそのままですが、なぜが安心でき、心身がリラックスして落ち着きます。
それまで「空の思考」(のまま)であった「空虚さや穴(=うずき)」が、(セラピストの)『考えを通じて』顕在(実現)化したからです。
ハッキリと見えるようになったからです。
それは、セラピストが、クライエントの空の思考を心の中で吟味し顕在化させて、それをクライエンに戻したことで可能になりました。
すると、クライエントは、「空虚さや穴」を自分の心に『置くこと』あるいは『収めること』ができるようになって、落ち着いていったのです。
それに伴い、アルコールの量が減っていきました。長女との関係ばかりか、妻や他の子どもたちとの関係も改善されました。
その後、AA(アルコール依存症からの改善のための自助グループ)に通い始め、肝臓の治療にも積極的に関与しています。
ビジネスにも、好影響が見られるようになっています。
これは、空虚や穴を「埋める」アプローチではありません。
「失くす」「消去する」やり方とも違います。
ですので、医学的やり方と異なります。
コーチングにも、こうした取り組みはありません。
そうではなく、心のあるがまま(空虚や穴)の状態を、肯定するやり方です。
その支援を、セラピストークライエント関係を通じて行うのが、「関係療法モデル」です。
あなたは、そんなセラピーのやり方にご関心がありますか?
Author Profile
ファミリー・ビジネスを持続・永続的に行うには、経営コンサルティングや税務アドバイスのような「ハード・スキル」と、ファミリー・セラピー(家族療法)のような「ソフト・スキル」の3面からの統合的支援が求められます。私は、家族の「癒し」と「再建」のためのファミリー・セラピーと、家族の健全さの「維持」と「予防」と「発展」のためのファミリー・アドバイスを34年にわたり行ってきました。
また、ファミリー・ビジネスのオーナーや大企業のエグゼクティブに対するコーチングにも、たくさん携わらせていただいています。
現在は事業承継・相続や経営について学び、各専門家と協力・協働しながら、日々ファミリー・ビジネス・アドバイスを行っています。
ファミリーとビジネスの結びつきを背景から支援するファミリー・セラピーに、より一層励んでいきたいと考えています。
現在、ファミリービジネス支援センター(FBSC)共同代表、セブン・スプリングス株式会社メンバー、一般社団法人FBAA・ファミリービジネスアドバイザー資格認定証保持者(フェロー)。
著書『痛みと体の心理学』(新潮社)他、訳書アーノルド・ミンデル著『オープン・フォーラム』(春秋社)他多数。