植物&昏睡状態と死の過程

私たちが準拠するプロセス指向心理学は、世界で初めて「植物&昏睡状態(coma、コーマ)」に働きかける「コーマワーク」を開発しました。

その詳細については、アーノルド・ミンデル著『昏睡状態の人と対話する』(NHK出版)に記されています(いま別の出版社より再販すべく、翻訳をし直しているところです)。

ファミリーセラピーを行っていると、コーマ状態についての援助を求められることが多くなってきました。高齢者の増加に伴って植物&昏睡状態に陥る人が多くなったのと、コーマワークが少しずつ知られるようになったためです。

あなたは、神経科学者で『生存する意識』(みすず書房)の著者エイドリアン・オーウエン博士が「物事を認識する能力が皆無だと思われている植物状態の人の15~20パーセントは、どんなかたちの外部刺激にもまったく応答しないにもかかわらず、完全に意識があることを、私たちは発見した」と述べているのを、ご存知ですか?

それは、科学的エビデンス(証拠)に基づいた事実です。

その20%の植物状態の人に働きかける有益な「具体的ツール」が、コーマワークです。

「植物&昏睡状態」で困っているファミリーメンバーのいる場合には、上の2冊がお勧めです。また、ご関心があれば、私たちにご連絡ください。

さて、コーマ状態は(絶対ではありませんが)たびたび死のプロセスに紐づいています。人生で、最も確実な1つは、私もあなたも必ず死ぬ、ということです。ただし「いつ(when)」死ぬかは未知で不確実なため、人は自分の死について考えることを怠りがちです。

死の辛さ、苦痛を緩和してくれる1つが、ファミリービジネスの「永続性」という考え方です。

自分の命には「限り」があるけれども、ファミリービジネスが「永続/永遠」であると考えれば、自分の命も不死だと想うことができる。

こうした想いを「投影」できる媒体がファミリービジネスであり、その理念(家訓)です。

理念が腑に落ちて納得できるものだと、自分の死の不安や恐怖が(多少は)緩和される。

ファミリービジネスの理念(家訓)は、人の死~特に創業者の深い想い、精神、哲学~を起点に考えると、そのファミリービジネスにフィットする独自なものを創造しやすくなります。

ファミリーセラピーには、家族メンバーの「死や看取りの過程」の支援も、よくあるオーダー(注文)です。

フロイトに始まった精神分析は、自分の死を「諦念」や「断念」をもって受け入れることを勧めます。

そのためには、心が成熟していなければなりません。

諦念は仏教用語ですが、「諦め」の語源は「明らむ」で、それは「明らかにする」を意味します。

諦念は「できることと、できないこととを」ごまかさずに明らかにして、できないことに執着しない「今の心(=念)」をいいます。

人間は、死なないことは「できません」。愛する人の死を止めることも「できません」。

精神分析も仏教も諦念や断念を真に身に着けると、質のいい生き方と死に方ができると教えます。

死の過程は、おごそかで畏敬の念でいっぱいです。

しかし、同時に、笑い、歓喜、豊かさの伴うことはあまり知られていないのではないでしょうか?

「エクスタシー(ecstasy)」は、「性的で官能的興奮」「恍惚」などと訳されますが、「歓喜的な神聖体験」「スピリチュアルな合一体験」も意味します。

“ecstasy”は、古代ギリシア語の”ekstasis(「外部に立つ」)”を語源とし、「心/魂が肉体の外部に出ること」を意味しました。

それは、肉体から解放され自由になった心/魂が、歓喜的な神聖性、合一、恍惚、官能的興奮を体験することを指しました。

映画や小説などには、セックスなどで官能的な状態にいて興奮している人が、自分を忘れて「死ぬ」「逝(い)く」と言う場面が、描かれています。

それは肉体~心を拘束する軛(くびき)の譬え~が壊れて、肉体の外部に出た心/魂が自由になってのびのびとするからです。

死んで逝くと、性的、官能的な解放感だけでなく、歓喜的な神聖性、スピリチュアルな合一、笑い、豊かさの喚起されるのが、エクスタシー本来の意味です。

死は想定外であり、理性でわかることはできません。

誰も死んだことがないからです。

死の過程には、おごそかさ、畏敬が伴います。

が同時に、心を拘束する従来の軛が破壊されて、自由、解放、神聖性、スピリチュアルな合一、恍惚、官能的興奮、笑い、豊かさをもたらす点も、忘れないようにしたいと考えます。

そこには、安らぎや赦しの伴うケースもままあります。

なぜなら、死の過程にいる人は、肉体の死が伴って「心/魂が肉体の外部に出るエクスタシー」を体験しやすい(投影)状況にあるからです。

既存の宗教の多くは、死や死の過程に対して、真面目さ、深刻さ、厳格さから向き合います。

私たちが、ファミリービジネスの家族メンバーの死の過程を支援させていただく際、

真面目さ、深刻さ、厳格さと共に、理性でわかり得ない想定外なこと~神聖性、合一、恍惚、官能的興奮、笑い、豊かさ・・・~に心をオープンにしてかかわるようにしています。

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