人生の後半とジェネラティビティ

深層心理学のライフサイクル論は、人生を前半と後半の2つに分けて考えます。

輪(サイクル)をイメージしてください。

ライフサイクル論によると、人生の前半で、輪の最下部から頂点に向けて輪の左側を上昇し、後半で、輪の頂点から最下部へ輪の右側を下降します。頂点は人生の終着点ではなく折り返し点であるところが、この理論のミソの1つです。輪の頂点は青年期にとっての終着点で、中年期にとっての始まりです。

かつて中年期は、35~55歳を指しましたが、人生100年の長寿社会になった今日では、65歳いや70歳までをいうのかもしれません。

輪の左側の上昇を「外孤(outward arc)の道」、右側の下降を「内孤(inward arc)の道」と言ったりします。

外孤の道は「成長」、内孤の道は「成熟」に向けたものです。この2つは『質(quality)』的に異なります。

深層心理学者のC.G.ユングやジェネラティビティを唱えたエリック・エリクソンは「中年期に人生の方向性を反転させ、変質することが無ければ、金、地位、名誉、権力があっても後半生は薄っぺらで空しく不愉快、不機嫌で不幸せなものになる」といいます。

前半生が朝日の光を浴びながら船を出航させ、太陽のもと進む旅だとすれば、後半生は夕日の中、そして月や星の光の下で船の運航をマネージするものです。

中年期は、人生の「思秋期」の入口です。

「質」を変える(変質)、とはどういうことでしょうか?

金、地位、名誉、業績、権力の「量」を増やす、といった定量的なものではありません。

中年期に人はまだ、金、地位、名誉、業績、権力に色目を使います。当然です。

が、「量」への色目とは別に「精神の青虫」が「さなぎ」に、さなぎが「蝶」に変質することを開始しなければなりません。

中年期は、青虫がさなぎになって、高齢期に蝶になることをめざし、夕日の中、船を進める時期です。

中年期に変質を開始できないと、どうなるでしょうか?

精神が青虫のまましおれて干からびた、残念なおじさん・おばさんになります。外見は美容医療、化粧品、金品、財宝、服などを使って若さを装えますが、内面は未熟なまま、しぼみ、しょぼくれ、欝々(うつうつ)とすることでしょう。

中年期・高年期はもはや、「青さ&若さ」で勝負する時期ではありません。

「脱皮しないヘビは死ぬ」といいます。

青虫を脱してさなぎに、さなぎを脱して蝶に向かうタイミングです。

「蝶」のラテン語は”pshche(プシュケ)”で、それは「心」「精神」「魂」とも訳されます。あなたは、内孤の道を進みながら、心を蝶へ変容させる過程に、ご関心がありますか?

青虫からすると、肌が柔らかくみずみずしく緑色がいい。が、蝶からすると、カサカサのさなぎの方が、ずっといい。

さなぎであれば、もうすぐ蝶となることができるからです。

現代は、「若さ」を中心とした価値観が幅を利かせています。「成熟」や「果実」といった価値観が脇に置かれがち。

そのため、中年期・老年期は苦々しく屈辱的で無価値なものと早計されやすいのです。

青い&若い価値観がすべてではない、とユング、エリクソン、ダニエル・レヴィンソンといった心理学者は述べます。

あなたは青虫の視点ではなく、さなぎや蝶の視点から、人生、社会、世界、ファミリービジネスを見直すことができますか?

すると、中年期や老年期が、違った姿を開示するでしょう。

中高年期に開花させるべき発達課題とは何でしょうか?

1つは、”generativity(ジェネラティビティ)”です。

エリクソンは、後半生を幸福で健康、実りあるものとするには”generativity”が欠かせないといいます。

“generativity”は、”generation(ジェネレーション、世代)”と”generate(生成する)”と”creativity(創造性)”とからなる造語で、「創造的次世代育成性」や「創造的事業承継性」などと訳されます。

ジェネラティビティが身に着かないと、後半生に絶望、空しさ、イラつき、不機嫌、キレやすさでいっぱいの老害的高齢者になりかねない、ともいいます。

そこには、精神的実りも成熟もありません。金、財宝、名誉、権力といった「物理的・表面的資産」があるだけ。「量」の増加があるのみです。

親や祖父母世代に、内面的豊かさのジェネラティビティ、「心、精神、魂的資産」がないと事業承継がつまずきかねない。

ジェネラティビティは目に見えない資産であり、価値観です。これがないと、ファミリーにもビジネスにも問題が生じやすいでしょう。

ジェネラティビティに反するのは、「自己愛」「利己心(エゴイズム)」「自己中心性(ミーイズム)」です。

いくつになっても、「俺が俺が&私が私が」で、王様・女王様でいることをやめられない。次世代の事業承継には、自分を持ち上げる自分より小粒のイエス・パーソンを指名する。

そうした貧相な心にならないためには、地道な精神の変質、陶冶、錬金の過程が欠かせません。

エリクソンは、「利他性」「愛」「思いやり」などから成るジェネラティビティは、中高年者の精神的満足、豊かさ、実りに相通じて、若い世代と自分とのウィン-ウィン関係を築く、と述べています。

ジェネラティビティは、中年期から老年期における心の変質&変容の果実の1つです。

それを得るのはたやすいことではなく、人生の夕べから出発し直し、月と星空の下で行う中長期的な精神の鍛練が必要です。

ファミリービジネスの良質な事業承継のために、また後半生を繁栄させるために、精神の内面の旅とジェネラティビティに着目してはいかがでしょうか?

最後に、中年期の「入口」をいくつか書きます。これらは青年期の「出口」であり、青虫にとっての失敗や挫折です。しかし、さなぎにとっては始まりで好機です。

(例)事業での失敗、離婚の危機、自分や家族の病、家族メンバーの反抗、

ビジネスにおける重要メンバーの突如の退職、大切なメンバーの死、

ファミリーとビジネスにおける不祥事、うつ病、子どものひきこもり・・・

それらは「危機」です。

なぜ、それらが単なる失敗や挫折ではないのか?

どうして中年期の入り口で、さなぎになるチャンスなのか?

それは、危機とは「危険」と「好機」から成るものだからです。

後半生に必須の危機を何度もやり抜き乗り越えたところに、秋の実り、精神の完熟、人生の深みと丸み、繁栄を得ることができるでしょう。

一方、「俺が俺が&私が私が」で危機を通り抜けることを回避すると、後半生の精神は貧相で空しく絶望的なものになり、あなたのファミリービジネスは課題を抱え続けることでしょう。

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