家族とアタッチメント(愛着)

ホモ・サピエンス(人類)は、進化の過程で脳を肥大化させました。
そのため、産道を通れなくなる危険を抱えます。
妥協策が、頭が十分に大きくなる前、未成熟な状態のまま生まれることでした。

誕生後の未成熟さをカバーするのが、アタッチメント・ケアです。
それは、人工的な子宮/保育器です。ホモ・サピエンスには、幼少期に安定したアタッチメント(愛着)が必要です。

さて、ここに「いじめ」に苦しむ小学生がいるとします。
その子は、いじめを誰にも打ち明けることができません。
家族に言うなんて、もってのほかです。
なぜなら、家族に相談するのが怖いからです。

「いじめられてるの? あなたが悪いんでしょう」
「そんなことくらいで。なんでそんなに弱いんだ」
などと、見下されたり、蔑(さげす)まれたり、脅されたりして、見捨てられ、無価値感、愛されていない感じを覚えるからです。

別の子は、いじめについて、親に相談できます。
親は、静かに、いじめについての事実関係や子どもの気持ちに耳を傾け、必要に応じて子どもを抱きしめ、励まします。
親に相談すると、いじめで混乱していた心が、整ってきます。
明日、学校に行ってみよう、という気力がわいてきます。

最初のやり取りのような親子の背景には、「無秩序型」アタッチメントが潜在しています。
一方、2つめのやりとりの背景には、「安定型」アタッチメントがあるでしょう。

アタッチメント理論によると、「安定型」の愛着関係は、親やファミリーが子どもの成長のために提供できる最良の贈り物です。

安定型の環境があると、子どもはいじめからの回復(レジリエンス)力を発揮しやすくなります。

無秩序型のアタッチメントの中で育った人は、大人になった後でも、「いじめられる自分が、バカだ」と自分で自分を見下したり、脅したり、ディスったりして、無価値感、劣等感、屈辱感を喚起します。

無秩序型アタッチメントの中で負うトラウマは、「発達上の(小文字の)トラウマ」です。

それが放置されると、「心の土台」が育成されません。心が脆弱で、混乱します。

それは、いじめ(災害、事件あるいは事故など)によって負う「(大文字の)トラウマ」を、より破壊的で暴力的なものにします。

そのとき「(大文字の)トラウマ」と「発達上の(小文字の)トラウマ」との混同からなる『複雑性トラウマ』が生まれかねません。
その癒しと回復には、多大な時間とエネルギーを要します。

次に、「とらわれ型」アタッチメントについて考えてみましょう。

とらわれ型アタッチメントの傘下にいる子どもは、親に、巻き込まれ、いじられかねません。

この型の親は、子どものいじめについて知ると、不安定になって過剰に心配します。そして、不必要/過剰に、子どもの友達関係に首を突っ込みます。

その親は、心配、過保護、過干渉を、愛情と混同しています。
その心配は、子どものためというよりも、実は、親の自己愛や自己中心性に根ざしたものに過ぎません。

一見、子どもを気づかっているようですが、「私を心配させるな」「面倒くさいことを、いちいち言ってくるな」という本音を抱いています。

その本音を直観する子どもは、「アッ、ダメだ、この親。私の悩みを受け止められない親に、悩みなんか言えない」と、考えます。

にもかかわらず、心の育っていないためその子どもは、つい悩みを打ち明け、親の過心配、過干渉の餌食になり、取り込まれ、いじられることになります。

もう1つ、代表的なアタッチメントに、「回避型」があります。
この型の親に、子どもはいじめを、(絶対に)相談しません。
なぜなら、悩みを打ち明けても、スルーされるからです。

結果、子どもは親(他者)を頼りにせず、自立を急ぎます。
表面上、自立しますが、内面は孤立状態に苦しみます。

アタッチメント理論によると、「安定型」の愛着関係は、親やファミリーが子どもの成長のために提供できる最良のプレゼントです。

それは、心に安定した土台を築きます。土台ができると、丈夫さ、困難をやり抜く力、クリエイティビティ、イノベイティブな力が発揮されやすくなります。

アタッチメントに着目するセラピストは、家族のアタッチメントの度合いや質に着目し、ファミリービジネス全体の支援を行います。

アタッチメントの質は、ファミリーの永続性を左右するほど重要なものです。

あなたは、アタッチメントにご関心がありますか?

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