コーポレートガバナンス改革について
先ず、このコーポレートガバナンスという言葉の意味を私なりに整理したいと思います。何故ならガバナンスを会社の業務執行(マネジメント)自体と混同して使用されるケースが散見され、また各国各様でその役割も異なり得るとされるなど、なかなかクリアなイメージが湧かない言葉だからです。
我が国のコーポレートガバナンスコードではコーポレートガバナンスを、「会社が株主はじめステークホールダーの立場を踏まえ、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行う仕組み」と定義しています。
会社の「仕組み」(”structure”)ですから会社の最高意思決定機関である取締役会がその責務を担うことになるでしょう。これが言葉通りワークするなら問題ないのですが、監査役会含めその実効性に懸念があるので態々コーポレートガバナンスコードが制定されたはずです。
そこで我が国がコード策定の際、参考の一つとした英国のコーポレートガバナンスコードでの定義を見てみると、「取締役会が会社の目指すべき価値を設定し、業務執行陣に有効性、創造性、そして遵法性を発揮させ、会社の長期的成功を実現する。これは経常的な会社の業務執行から区別されるものである。」となります。
また、英国コーポレートガバナンスの教科書であるボブ・トリッカーのCorporate Governance (Tricker, 1)では、経営陣が会社の持ち主である株主(会社の目的ではない)の利益に沿って会社をちゃんと経営しているかをモニタリングし、コントロール(制御)することと定義しています。
私はコーポレートガバナンスを、「相対立する諸利益の集合体である会社(特に株式会社)において、その業務執行に責任を持つ経営陣と株主、その他の利害関係人(ステークホールダー)との間のあるべき関係、利害調整と制御及び紛争処理を行うプロセスの総体」と理解します。
ここで、誰がその主体となるかについて自律と他律の問題を検討しなければなりません。
自律と他律
コーポレートガバナンスで云うCEO、経営陣を制御するメカニズムは先ずは内部化を第一に考えるべきだと思います。現実に日本企業の中には経営陣や一般社員が株主や社会・環境まで配慮している立派な会社が沢山あります。内部統制制度の確立は正にその内部化を会社の仕事として行うわけでしょう。
しかし、今この人たちなら安心でも、将来も同じかどうかは分らないわけです。日本の会社の組織・集合体に特徴的な問題、例えば同調圧力、集団浅慮(グループシンク)、思考・行動スコープの限定傾向や、人間心理の特性、即ち先延ばし・矮小化欲求を重く見ると、「自律」=内部者の統治に頼りきることはできません。
社外ステークホルダーの外部性の内部化は、高い倫理観を持つCEO、CEOから独立して数字に責任を持つCFOや、内部統制強化の推進主体としての内部監査部門等、そして現場業務に携わる従業員の志や質によって実現可能でしょう。
しかし、これは人間性に内在する偏見や思考パターン、ヒューリスティックを無視した性善説に立っており、リスクマネジメントも必要ない、ある時ある場所では偶々実現するかもしれないユートピア願望ではないだろうかと考えます。
試験の解答を自分で採点するわけにはいきませんから、「自律」単独ではそもそも結果の評価はワークしないのです。また業務執行に伴って生起する利益相反の処理を「自律」だけで行うことはできないのです。
私はこの「自律」に100%依存できないところにコーポレートガバナンスの根底にある「他律」の必要性が出てくると思うのです。「他律」が「自律」に取って代わるのではなく、「他律」を付加し、「自律」とバランスのとれたコーポレートガバナンスの構築が必要なわけです(青木, 2)。
「他律」はまた、会社の意思決定への(間接的な)参画から取り残されたステークホールダー達の利害を尊重し、意思決定の担い手である経営陣を「独立」した立場から監督することです(佐々木, 3)。
ここでいう「独立性」はコーポレートガバナンスの肝となる概念ですが、何から独立すべきとなると、それは一義的には経営陣、特にCEOからとなります。
しかし残念ながらコードで形式基準を色々工夫していても、実効性については以前より良くなっているぐらいのレベルと言わざる得ません。今世紀初めごろの人間心理の科学的知見のレベルは今とはかなり異なっていますが、ビジネスでは以前の常識で物事を判断する傾向があります(Pink, 4)。
我々はこの20年で急速に発展した脳科学、行動科学、そして認知心理学の知見を取り入れて、独立性の実効性を高めなければなりません。また「関係性」が世界で一番強い我が国(メイヤー, 5)では、グローバルな仕組みを真似ても同じ結果にはならないことを想定すべきでしょう。
コーポレートガバナンス改革の背景と直面する現実
官主導で始まったコーポレートガバナンス改革の時代的背景について述べますと、日本の企業がリスクを取らず、失われた20年間に行われた研究開発、システム投資や人材開発も全く不十分なため、このままでは資本主義のグローバルな競争に勝ち残れないという焦りもありました。
これを海外から眺めれば、投資対象として相応に魅力的な日本企業がグローバルスタンダード(=米国)を受け入れるよう圧力が加わったわけです。また、2018年のコーポレートガバナンスコード改定で強調された資本コストを重視した経営も、日本企業の得意とする「高度技術」と「現場力」と比べて資産効率やポートフォリオの適正構成などの優先順位が低い現状を意識してのことです。
そしてこの1年はコーポレートガバナンス改革を追い込む形で、資本主義とその実行者である企業経営者が軽視してきた環境問題、所得格差拡大のコントロール不能が顕著となり、米中経済戦争、ブレクジット等の地政学的な不安定要因も加わって、正に”VUCA”状態となっているのです。
昨年の7月にロンドンで行われたThe Chartered Governance Institute(英国のコーポレートガバナンス改革の推進母体の1つ)主宰のコンファランスでも気候変動、所得格差、そしてデジタイゼーションがコーポレートガバナンス改革の焦点とすべきものとされました(ICSA, 6)。
この3項目は全て外部的リスクでありビジネス機会にもなりますが、これまでは企業経営者にとってコントロールが容易でないものとして、一部分の回避、或いは現行事業への活用程度の話にとどまっていました。しかしこれらのリスク要因が20世紀資本主義の産物であり、現状維持不可能である以上、企業には責任ある対応が求められています。
企業が果たすべき責務
「他律」は株主、従業員、地域社会、国家を超えて地球規模での資本主義の失敗を各企業の経営者が業務執行上最優先で取り組んでいるかを監督しなければなりません。株主のための営利追及が法律上の責務である民間企業にそこまで要求する根拠は何でしょうか?確かにtoo muchだとも思います。
しかし資本主義の発展によって企業活動が社会の中心となり、変革の芽も企業を軸とし、そして何より国家、行政、大学・教育機構、病院・医療機関などの社会における主要な組織(国によっては軍隊も)の中で、企業が一番意思決定プロセスのレベル、透明性が高いのです。
各組織形態の中の意識の高い人々とともに社会変革を行えるのは企業に関係する人々ではないでしょうか?企業にはハードローの枠に固執せず、果敢に社会的課題を自社に取り込む志とその根底となる倫理観を持った人々がいます。勿論、長期の目標と短期の数字合わせをバランスさせる力量が求められるでしょう。
先月亡くなった20世紀最高の経営者と言われたGEのJack Welch元会長のレベルのCEOなら、その時代、環境に合わせて会社の目標を変更し、その実行に必要な仕組みまで新たに策定できるでしょうが、今の日本にそのような人材が何人いるか?集団や人間性の課題克服という点で「他律」が必要なだけでなく、地球規模の歴史上でもかなり大きな変革期だからこそ、独立した外部者のコミットメントが要請されます。
余程の例外を除けば、全ての会社に「他律」が必要な時代なのです。(「利害中立的なヒトゴト第三者」(3)や昭和の時代を体現する大所高所長者もこれまでは相応の役割があったと思いますが、この人たちにこれだけの難事に対峙する覚悟はあるでしょうか?)
コーポレートガバナンス改革では「守りのガバナンス」だけでなく、「攻めのガバナンス」を強調していますが、どうもこの二項対立的発想は日本人の本性に根差すもののようで違和感があります。しかも企業不祥事の連続により独立役員の役不足と相まって、「守り」を再構築する方向性が目立ってきました。
しかし本来ガバナンスには「守り」と「攻め」の区別などありません。ガバナンスをリスクの視点から見ると攻めも守りも共にリスクテイクとリスクコントロールの仕組みなのです。どうも二項対立的アプローチには「攻め」を攻め倦んでいる経営陣のやるべきことを限定したい思惑が覗われます。それだけ日本企業の役員のキャパシティが小さいのでしょうが、そこからは今日本企業に最も求められている創造性は期待できないでしょう。
教育現場の課題から
ところで教育改革分野の最近の試みは成功例だけでなく失敗のケースもコーポレートガバナンス改革にとって参考になります。近時の入試改革の迷走・停滞は日本社会、日本企業の改革を目指す者にとって他人事ではありません。根っ子は同じだからです。
私事ですが去年の後半は毎月のように中学校に行って課外授業の講師をしました。
「社会が君らを待っている!」調のプレゼンですが、1/3ぐらいの生徒が反応してくれました。でも今の教育行政は「平均」という存在しない架空数字に合わせるため、上も下も切り捨てて、「リスク活用のリスク」を恐れ、ひたすら判断・行動のスコープを狭めようとしているように思えてなりません。
記述式問題の導入見送りも公平性という言葉が独行し、測れるものだけで能力やパフォーマンスを評価することがどれほど社会にとってマイナスであるかを考えないのです(ミュラー, 7)。また各人各様、絶対的正解のない問題に取り組む記述式試験をマスにやろうとする発想は、先ず形式から入って云々という姿勢に近いと思います。
添付のパワポで云えば、こちらになります。
「できる学力」に執着する限り、日本の将来は暗いと懸念します。何故ならそれらはAIが既に代替してきているからです。先に述べたロンドンでのコンファランスでは2018年度の英国コーポレートガバナンスコード改定で、多様性の中に新たに「認知的及び個としての強さ」(”cognitive and personal strength”)が加わったことを強調していました。また先を越された感があり悔しい思いです。添付のパワポの「感性・Emotional Intelligence」に近いですね。
日本の人口も2100年には今の1/2 ~ 1/3まで減少すると想定されており、グローバル化は待ったなしです。官主導の形式から入ったコーポレートガバナンス改革を実効性あるものとできるかどうかは、日本人の行動特性を意識した行動経済学的なアプローチをどこまで果敢に取っていけるかにかかっているでしょう。
何故ならコーポレートガバナンス改革の問題の本源は個人と組織の問題であり、資本主義によって解き放たれた人間の本性をコントロールしようとする環境問題や所得格差問題と近い試みだからです。単なるエージェンシー理論の株主云々の話を超えているのです。社会の痛みに共感し、そのニーズの解決策を創造的に行う気力と志のある人々が、そのツールとしてコーポレートガバナンスを使うのだと考えます。
ファミリービジネス
尚、本ニュースレターではファミリービジネスへ直接的な言及はされていませんが、お読みになればあちらこちらで関係していることがお分かりいただけると思います。
例えば、ファミリービジネスではファミリー構成員間の「感性・Emotional Intelligence」の重要性やコミュニケーションの密度が明示的に示されています。一般のコーポレートガバナンスはあれやこれやと形式からアプローチしていて、推進主体である取締役会メンバーのEmotional Intelligenceは殆ど考慮されないため、取締役会の実効性はなかなか高まりません。
一方で一般のコーポレートガバナンスでは態々「攻めの」ガバナンスと言うように、事業変革やイノベーションが中心概念ですが、ファミリービジネスでは事業継続、伝統の継承が強調されます。
この二つを連結するものは不変部分と可変部分を併せ持ったミッション・ビジョンの確立だと思っています。顧客の「心」に何を提供し、社会に何を還元するか、そのために我々はどういうビヘイビア、バリューを行うべきか、何は変わり、何が変わらないか、出口のない道のりを耐えるためには理屈や論理を超えた感性の共有が必要でしょう。非ファミリー系公開企業ではミッションもビジョンも今の環境に合わせてアップデートする点は評価できますが、どこまで経営陣が感性で共有しているかは疑問です。
ファミリービジネスでは創業者のリアルな思いが企業理念に体現されているのでメンバーの共感度は高い一方で、そこに含まれる「変わるべきもの」を時代に合わせて変化させていくことが必要です。今のキーワードはデジタイゼーション!相手はグローバル。これで消える可能性あるビジネスは価値ある伝統の継承を新たなビジネスモデルで行わなければならず、高い難度の試みになります。
最後になりますが、コロナウイルスによって各企業は途轍もない外部リスクに直面しています。受け身では潰されてしまいます。幸いコーポレートガバナンス改革が本格始動して間もなく5年。各企業とも解決すべき課題とそれらの共通原因は分ってます。
後は変革をスピードアップして、果敢に打って出る攻めと守りのガバナンスの同時試行でこの難事を克服すること。コーポレートガバナンスの本領発揮を期待します。
参考資料
1.B. Tricker. (2015). Corporate Governance Third Edition. Oxford University Press
2.青木高夫. (2020). 株主志向か公益志向か. 日本型コーポレートガバナンスを求めて.
晃洋書房
3.佐々木弾. (2015). ガバナンスの自律と他律. 「企業統治の法と経済」第4章. 有斐閣
4.D. H. Pink. (2009). Drive. The Surprising Truth About What Motivates Us.
Canongate Books, Ltd.
5.E. メイヤー. (2015). 異文化理解力. 英治出版 原著The Culture Map
6.The Governance Institute. (2019). The Future Board, Getting in Shape for Tomorrow’s Challenges. The Institute of Chartered Secretaries and Administrators (“ICSA”)
7.J. ミュラー. (2019). 測りすぎ. みすず書房. 原著 The Tyranny of Metrics
Author Profile
主な業務経験分野は経営の意思決定、統合リスク管理とM&A含め事業開発。他にアメリカンエキスプレスインターナショナル特別顧問やAPIコンサルタンツ顧問、実践コーポレートガバナンス研究会理事も兼ね、日本企業のコーポレートガバナンス推進や業務・組織・人事改革の支援を行っている。
経済同友会会員。
横浜国立大学経済学部卒業。
(財)国際開発センター・開発エコノミストコース及びGE Crotonville Global Business Management Course終了。
2018年に英国の独立取締役向けFinancial Times Level 7 Advanced Professional Diploma 取得。
趣味は孫とのコミュニケーション。