対話の重要性

FBAAのプログラムを通じて思い出したことがあります。私の母方の実家が、東日本薬品株式会社という商号で医薬品の卸売業を営んでいました。すでに会社は実家の手を離れてしまっていたせいか、すっかり忘れていたのですが、良い機会ですので、この機会に振り返ってみたいと思います。

創業者は異なるものの、戦争から帰国した母方の祖父が会社を承継し、茨城県水戸市で事業を営んできました。

母方祖父母の間には、長子である私の母と、二人の息子がいました。会社は長男が継ぐものという教えがあったかどうか定かではありませんが、母は医師の道に進み、次男も稼業と異なる会社員の道に進みました。

私が生まれたのは、母が32歳の頃で、その頃には叔父(祖父母からみた長男)が稼業に入社し、祖父の下で働いていたと思います。その頃には、叔父もすでに結婚しており、叔母との間には、2人の子供(私からすると、従姉弟)がおり、祖父母と一つ屋根の下で暮らしていました。

叔父との交流で覚えていることといえば、私が中学生になるくらいまでは、夏休みや春休みといった機会に従姉弟に会いに、祖父母・叔父母宅に訪れていたことです。その際に、叔父は、よく釣りや遊びに連れて行ってくれたり、興味深い話(特に怪談話)を聞かせてくれたものです。

私が高校生になった1996年頃には、叔父が祖父から社長職を引き継いでいましたが、茨城県内を中心とした医薬品の卸売業というビジネスにとっては、苦しい時期だったのではないかなと、今から振り返ると思います。

2000年10月(私が大学2年生の頃)に、叔父は、東北4県に所在する同業者4社と合併をするという決断を下しました。私も株式を一部保有していましたので、叔父から、両親を通じて、なぜ合併を行うのか説明を受けました。やはり茨城県内だけの商いだけでは見通しが悪く、足元を固めるためにも合併が必要であるとのことでした。

当時、社会の仕組みもよく知らず、知識のなかった私にとってはまったくの他人事で、「叔父さんがやりたいようにすればいいんじゃないかな。」と両親に伝えたことをよく覚えています。両親からも、祖父と叔父が決めたことだから間違いはないでしょう、との話があったように思います。

その後、叔父は合併した会社で副社長を務め、主に財務を担当するようになり、私はというと、弁護士の道に進み、大手法律事務所に入り、M&Aを担当する部署で働いていました。あるとき、たしか祖母の米寿のお祝いの席だったと思いますが、母方の親族たちと食事をする機会がありました。その席で、私はまだ弁護士2〜3年目のペーペーにもかかわらず、さも企業や企業買収というものを知ったかのように話し(いまから思うと噴飯ものです)、それに対して、叔父が静かに首を振ったことを痛烈に覚えています。

叔父の顔が赤かったのは、お酒の席のせいなのか、怒気を含んでいたのかは定かではありません。ただ、叔父としては、企業人としていろいろな場面を見てきたはずですし、当時も様々な悩みを抱えていたと思いますので、私の軽はずみな発言が叔父を怒らせてしまってもおかしくはありません。むしろ、怒りたい衝動を、首を振るという仕草で無理やり抑えたのではないかと思います。

自分の軽はずみな発言を正当化するつもりはないのですが、ファミリーという枠組みで捉えたときに、高校生の終わり頃から、親族間での交流が少なくなったように思います。もっと頻繁に対話や交流ができていれば、当時、叔父の苦悩を理解できたのではないかと後悔しています。

とりとめのない話になってしまって恐縮ですが、認定プログラムを通じて、ファミリー間での対話というものの重要性をよく理解しました。幼い頃の幻影なのか、軽はずみな発言をしても許さる、あるいは、言葉を交わさなくても通じているという思いを抱きがちですが、自立した大人同士のきちんとした対話がなければ、健全な関係性を構築あるいは発展させることはできないと思います。

実際、私もいくつかのファミリー企業の顧問弁護士を務めていますが、特にビジネスという点について、特に世代間できちんと対話ができていないと感じています。これからは、対話の重要性を説きながら、ファミリー企業に向き合っていきたいと思う今日この頃であります。

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