「見えないもの」を考える

幸福とは何か。

そもそもそこを考える事はファミリービジネスに携わる上でもとても重要なテーマです。

私自身、ヘルスケア(未病)ビジネスに携わる上でこのテーマを研究してきましたので、重要な気付きを共有したいと思います。

なぜ幸福になるのがこれほどまでに難しいのか。

それは自分自身にとって、本当の幸せが何なのか自分自身が気付けていないからかもしれません。

ではなぜ気付けないのか。それには明確な理由があります。

今回はそこを掘り下げてみます。

日本において宗教というくくりだけで何かまずいものというイメージを持っている方は多いのではないでしょうか。

私自身も中学からキリスト教の学校に通っていましたが、聖書のたとえ話もさっぱり分からないし、気持ち的にはなかなか近づきづらいものでした。

この年になり娘がキリスト教の学校へ通う事になった事がきっかけで、ひさかたぶりに神学の先生から聖書の解説を聞く機会がありました。そこでの気付きを共有します。

聖書、ヨハネによる福音書 20章24~29節にキリストの言葉として「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」という言葉があります。

キリストが死から復活した際にどうしても信じられない弟子のトマスへ語りかけた言葉です。

これを引用し、キリスト教においては見えないものを信じる者は幸せであるという教えが説かれています。

「申し訳ないが、さっぱりわからない(笑)。だいたい復活もするわけないし。やはり宗教とはやばいのではないか?」なんて考えてしまいます。

言葉通り解すると「見えないもの」とは目の前にあるのに見えていない事も含めますが、果たしてそんな事はあるのでしょうか。

確かに哲学者におけるスコトーマ(心理的盲点)であったり、カエサルの「人間は見たい物しか見ない」という有名な言葉などもあります。

しかしこうした記述は全て、意識の「強弱」の話を誇張しているだけで、目の前にある物が見えていないなんて事は物理的にあり得ないのではないか、そう思っていました。

おそらく同意見の方も多いのではないでしょうか。現実は違います。

脳科学についての話を紹介します。頭の中の動きをf-MRIという機械を使い、脳の血流を計測し、脳のどの部位が活動しているのかという計測を通して脳の仕組みを解明しようとする学問を言います。

これらを使い、最近では様々な脳の仕組みが解明されつつあります。

先ほど紹介したスコトーマについても、科学的なアプローチから説明がされています。しかもそれが「たまに」ではなく、「常に」であることも。

実際に「見えない」とは古今東西どんな人でも持っている、いわば人間の脳の仕組み上どうしようもない脳の仕組みだったのです。

詳しく見てみます。スコトーマは脳科学的にRAS(脳幹網様体賦活系)と言われ、自分にとって不要だと判断された情報が自動的に峻別される仕組みを言います。

具体的には脳の中心部に近い大脳辺縁系底辺にあたる部分に左右一つずつあるアーモンド形の扁桃核という神経核に、言葉にできない「情動」の記憶が収められている事がわかっています。

海馬と言う記憶をつかさどる部分などと主に連携しながら織りなす一連の活動がいわば心の正体。

映像や音声など五感を通して受け取った外部からの刺激に対して、扁桃体は好きか嫌いか、自分の身にとって危険がないか、知識(記憶)がないため無視するかなど、100分の数秒というごく一瞬で決定を下します。

そしてこのシステムは意識的に止めることはできない「無意識」の正体です。

扁桃体は記憶の定着にも絡んでいるため、同様の理由で情動的に関心のない事柄は記憶に残りづらい事もわかっています。

この扁桃体の成長は胎内から大体4歳くらいまでに70~80%程度がほぼ出来上がると言われています。

「三つ子の魂100までも」とはよく言ったものです。更に重要なのは、この扁桃体はすぐ近くの脳下垂体から、(いわば言葉の代わりに)ホルモンを放出する事で体に様々な反応を引き超こします。

つまり、扁桃体が居心地の良い状態でないと、人は健康でいられないという事なのです。「病は気から」というのもうなずけます。

先人たちの知恵に驚嘆するばかりです。

話を戻します。

先ほどの「峻別された後の情報」を元に判断作業をするシステムとして「思考」があります。

「思考」とは主に大脳新皮質の前頭前野と言う部分で行われる処理で、いわゆる「私」という感覚の正体です。

当然前の段階で情報の前捌きがされているため、「思考」の段階ではいくら考えても永遠に気づく事は出来ない、つまり「見えない」状態が出来上がるのです。

マジックで使われるトリックなどもそこを利用しています。

この仕組みに気付かずに意思決定をしてく状態を心理学的には「確証バイアス」と言い、「やっぱりそうだ」「思った通り」という状況がだんだん確信へと昇華される状態になります。

MBAにおいてもクリティカルシンキングという思考法を主軸に、このバイアスを取り除く習慣を教えています。

このサイクルから抜け出せないまま、自分の望まない外部変化が起きると、時として「思考」と「情動(こころ)」が乖離していく事になり、不安やあせりなど様々な感情を呼び起こします。

最後に聖書での気付きをもう一つ紹介します。

聖書の創世記にこの世が作られた時の記述として「神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」と書かれています。

神学の先生は言います。

「皆さんはこれが本当の事だと思いますか?どう考えても嘘ですよね。では、なんでこんな嘘見え見えの話が2,000年以上も削除されずに聖書に残ってきたのでしょう。

昔の人はバカだからそんな事はわからなかったのではないか?とでも思いますか?そんなわけありません。

いくら昔の人でも、自分たちがいるより前の事が分かりっこないという事はわかっていたはずです。ではなぜ削除されずに聖書に残ってきたのでしょうか?」

皆さんはどう思われますか?先生曰く「この記述こそが宗教そのものだからです。」

おわかりになりますか?

真空である時、その空間がたとえ光で満たされていても見た目は闇です。

しかし塵が紛れ込んだ瞬間に私たちは光に満たされていたことに初めて気付けます。

どんなに見ようとしても見れない。

「気付き」こそが心の安定であり宗教そのものでもあると語っていたのです。

見えていないものに気付く事。それは情動(扁桃体)の安定と思考(前頭前野)の納得性を両立する事とも言え、脳科学的にも幸せな状態になれる事です。

スコトーマと見えないものを信じる事は幸せであるという教え、創世記の記述。全てが繋がりましたでしょうか。

紙面の関係からこれ以上はかけませんが、今回はキリスト教という切り口でしたが、他にも、陽明学、チベット仏教、コーチング、禅、マインドフルネス、書道や茶道などの「道」、行動経済学、アドラー心理学、運動心理学、マーケティング理論、経営学、その他様々な知見においても、脳の仕組みを知る事で大きな共通点が見えてきます。

そのたびごとに先人たちの知恵に驚かされるのですが、ファミリービジネスに関わる我々も、まず自分自身が気付けないものがあるのだという前提を持つことが、重要なのかも知れません。

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