ファミリービジネスのコーポレートガバナンスを支える「家訓」の存在

オーナー経営者の責任と義務

ノブレス・オブリュージュは、 フランス語で「高貴なるものの義務」を意味しています。 財産や権力、社会的な地位には責任を伴うとされ、 その語源は聖書の「すべて多くを与えられたものは、多くを求められ、 多くを任された者は、さらに多く要求される(ルカによる福音書)」 にあるとされています。

多くのファミリービジネスがそうであるように、 地域の名士として認められ、頼られ、尊敬されているからこそ、 社会的責任を果たしていくことが求められます。 なおかつ、長寿性を誇るファミリービジネスだからこそ、 その地域への影響力があるのです。

さらに、ファミリービジネスの経営者として、 従業員に対しても多くの責任と義務をもっています。 それは、一般の人に比べて有利な富と機会を与えられ事業を承継している、 ファミリービジネスオーナーだからこそ、 社会に対する責任と義務を負っているという考え方でもあるのです。

一方、ファミリービジネスにおいては、 経営者と株主が基本的に一致している事が非常に多く、 そのため「ノブレス・オブリュージュ」の考え方を失い、 経営の規律性を損なうこともあるのです。 本来、ファミリービジネスが永続性を願うならば、 経営の規律性を専門経営者以上に維持することが不可欠となるはずです。

しかし、ファミリービジネスにおける不祥事が起こるのも事実です。 コクドや大王製紙など ファミリー出身の経営トップが自分自身の私利私欲にはしり、 ファミリーの重要な財産でもあるビジネスを毀損させ、 最悪の場合には崩壊に導くケースが、最近は多々見られます。

この私利私欲は、大きく2つの点にあらわれます。 それは、「金銭面」と「人事面」です。 金銭面では、大王製紙の前会長による連結子会社からの 法外な無担保借入は記憶に新しい出来事です。 人事面ではダイエーなど身内に甘い抜擢をおこない、 結果として経営が傾くなどのケースが見られます。

こうした不祥事を見ていくと、 ファミリービジネスだからこそ、 コーポレートガバナンスが重要となることがみえてきます。

その一つとして、ルールの明文化とその遵守が挙げられます。 ファミリービジネスの欠点として、 身内びいきなどの不公平感が指摘されます。 特に規模が小さい企業の場合、社内制度が整備されておらず、 どうしても透明性にかけてしまいがちです。

人事制度による昇格基準や職務ごとの責任と権限、 経理面における経費規定などを定め、実行することで、 創業家の関係者だけを優遇するといった 弊害についての是正が進むこともあるのです。

前述したように、 ファミリービジネスにありがちなファミリー優先を放置すれば、 従業員の中で、ファミリーとの不公平感が拡大しかねません。 一方、ファミリー以外の従業員は、 ファミリービジネスであればファミリーが優先されることは ある程度想定しています。

だからこそ、従業員が求めているのは 「不透明性の解消とルール化」および「適切なコミュニケーション」なのです。 オーナー経営者がこの点を十分に認識して形にしていく事が求められるのです。

では、こうしたオーナー経営者は、 なぜこのような「思い」を持つようになるのでしょうか。

預かるという考え

企業永続の秘訣の1つに事業や資産継承によって 「自分のものになる」というのではなく、 「預かる」とする考え方があります。

「三方よし」の語源となった、 近江の五個荘商人中村治兵衛が四代目に遺した 「宗次郎幼主追書(これも、家訓の一つとして残されている)」に 以下の文があるのです。

「我子に渡すまでわずか三十年が一生なり、 一切を大事にして我子へ無事堅固にして可被渡候、 わずかの内の手代ばんとうすると思い、大切に可被致者也」

【簡易訳】自分の一生は、その身代をわが子に渡すまでの30年である。 親から譲られた(預託された)財産を大切にして、 自分の子供達に無事に渡すべきものである。 たった30年間の手代や番頭をすると思い 家業に努め財産を大切にすべきである。 (吉田實男『商家の家訓』清文社、2010年より)

最近とりあげられているスチュワードシップ、 そしてファミリーガバナンスを記したものが 250年以上前の家訓として存在しています。

会社の財産(お金はもちろん、従業員やお客様などとの関係性も含めた 有形、無形の資産)を少しでも大きくして、次に承継していくために、 当主である自分自身をしっかりと律していくという姿勢。 こうした考え方を、家訓や家憲で今も大切にしている ファミリービジネスも多く見受けられます。

このような考えを規定しているからこそ、 継承した事業や資産を自分のものだから勝手にするのではなく、 預かっているものだから、 勝手な行動に出て資産を損なうようなことがあれば、取り上げられるのです。 つまり、罰則が定められているのです。 それは、家訓の中では「押し込め」として定めています。

三井家の基礎を築き、その後の三井家の家法の基となった 三井宗竺がのこした遺書には、以下の文があります。

「第9条(制裁)同苗の中で親分の指示を聞き分けない者、 家業などをないがしろにするような不届き者については、 同苗で相談した上で隠居させるか、 伊勢松坂に押し込めて、仕置きをすること。 また、異心のある者は評議し、同苗から排除すべきこと。」 (吉田實男『商家の家訓』清文社、2010年より)

また、仙台藩で物流を行っていた八代仁兵衛の「定メ」の規程にも 以下の文があります。

「主人が身持ち悪く家法に則らず不正の事があった場合は、 店中の者が一体同心になって意見を上申する事。 それでも諌言を用いず、身が改まらない時は、親族会議を開いて相談し、 不相続の人物である場合は、隠退を強制し、相続者の地位を剥奪すること。 これをゆるがせにしておく事は、奉公人として不忠の至りであり、 何がなんでも、家相続ができるように取り計らうことが一番大事である。」 (京都府『老舗と家訓』1970年より)

このように、家業の永続をはかるために「預かる」という考えを大切にする一方、 預かることができない人物が経営者となった場合には、家の相続を守るために その人物の地位を剥奪することも決められていたのです。

古くから伝わる日本の商家の家訓には、 オーナー経営者の「義務と責任を果たし」「預かる」 という考え方をもって経営をしていく上で、 「社会や顧客の信頼にこたえ、企業価値の最大化に向けた重要な仕組」 であるガバナンスが求められることが、記され、強く求められているのです。

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