徳川家康にみるファミリービジネス

私はファミリービジネスの最大の成功者は徳川家康だと思っています。

家康は織田信長と豊臣秀吉一族の挫折を目の当たりにしています。家康はこの二人の失敗から教訓を得たのです。

現代風に言い換えると、信長は仕事のできる社員は社内規定を独断で作り変えてでも登用することで、売上もどんどん増やし会社は大きくなっていきます。しかし、従来からの幹部社員の不満は溜まっていきます。

信長はその不満を容赦ない人事で押さえつけます。しかし、抑えきれない不満は一部幹部の社内クーデターとなり信長は本能寺で滅ぼされ、後継者である長男信忠もそこから1キロ程度の場所に少ない軍勢の状態で居たため同時に滅ぼされました。

柴田勝家、豊臣秀吉等の譜代の有力家来も近くにおらず、リスクヘッジにエアポケットが生じた瞬間でした。秀吉の方は57歳離れた一人息子がいましたが、まだ幼く後継のリーダーとして教育する時間もありません。秀吉亡き後は会社が倒産することは目に見えていました。

そんな状況を厳しい時代を生き抜いてきた幹部社員達が黙って見過ごすわけがありません。社内を2分する大きな主導権争いとなり、最終的には創業者一族不在の全く新しい会社が誕生します。

では、この二人の天下人の失敗を教訓に家康はどうしたか。この混乱期、社内体制作りには長く生きることが肝要ということで健康には人一倍注意を払いました。家康の健康オタクは有名です。そのため当時では長寿の75歳まで生きています。

また、幹部社員へは常に公平な賞罰を心掛け、個人的な趣味嗜好にお金を使ったわけでもなく、社長家康の様々な行動は常に会社全体のためということが社員全員に十分伝わっていました。62歳で息子(2代将軍秀忠)に社長を譲り自分は隠居しますが、若い後継者に様々な助言をし、リーダーとして育てていきます。

そして次の次の後継者(3代将軍家光)も指名し、早い時期よりリーダーとしての自覚を促し、社員にも意識させ、社内の後継者争いを封印します。

家康がみせた後継者への用意周到さ、社員のモチベーションに対しての感度は現代のファミリービジネスのお手本といえるのではないでしょうか。さらに幕府という組織を維持していくために所有と経営を分離するというルールを作ります。石高も家格も高い御三家や、前田、島津、伊達等の大大名ではなく、実務能力の高い石高の低い譜代大名に経営の執行は任せます。

所有する株主と執行する取締役を分離するという現代の商法上の原則に通じるものです。家康は有能な軍略家であり、政治家であり、実業家でもありました。

 

家康の遺訓があります。現代でも十分に通用する名言です。

「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず

不自由を 常と思えば 不足なし

心に望みおこらば 困窮したる時を思い出すべし

堪忍は無事長久の基

怒りを敵と思え

勝つことばかり知りて 負くるを知らざれば 害その身に至る

己を責めて 人を責むるな

及ばざるは、過ぎたるに勝れり」

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