FBAA第20回セミナー「日本スターバックス成功の舞台裏」

第20回 定例セミナー / ネットワーキング
「日本スターバックス成功の舞台裏」
講師:梅本 龍夫氏
スターバックスコーヒージャパン立上げ総責任者
立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授
前サザビー(現サザビーリーグ)取締役経営企画室長

 

梅本:ご紹介いただきました梅本です。

本日はぜひ気楽に、身近に1,000店舗以上あるスターバックスの始まり、どう荒波を越えてきたのかを物語的に聞いていただければ大変ありがたいと思っています。

私の専門分野に「物語法」というやや分かりにくいテーマがあるのですが、戦略とかそういうものは、ストーリーにして全社員、従業員さらにはフォロワーとなるような顧客と共有することで持続的な効果があげられることを、スターバックスでの実践を含め感じてきました。それをアカデミックに研究できないかと、立教大学の大学院で1コマ教え始めているところです。「物語」は基本的に起承転結なので、そのような形で何が起きているかというところをお話できればと思っております。

自己紹介

ご紹介の通り、私自身はいろいろなことをやってきました。逆に言えば一貫性がないのですが、やはり社会的な役割をいろいろ変えてきたような気がしております。

経歴でいくと最初は電電公社時代のNTT、まさに公務員ですね。34万人いた巨大な独占企業として、かっこよく言えば国家事業、悪く言えば官僚的な仕事を体験し、留学をさせていただいたんですが、それがちょうど80年代中盤のシリコンバレーで、スティーブ・ジョブズが一番華やかになりつつあった時代、マッキントッシュが登場したタイミングです。

ここで、大企業で国家事業をやるんだという、ある種の思い込みでアメリカに来た1人の若者が、ベンチャーは世界が違うなということに気づかされたんです。そうはいっても事業を自分でやる知恵も能力もないので経営コンサルティングとしてベイン&カンパニーという会社に移りました。

移ったんですが、アメリカでの体験で、いつかは小さくてもいいから、実業、事業、ビジネスをファミリーなどで立ち上げた人たちと一緒にやっていきたい、そういう現場をやりたいという感覚があって、縁がありベンチャーキャピタルの会社に行きました。

ベンチャーキャピタルはコンサルティング以上にお金の計算をする場所なので、逆に夢から遠ざかってしまった感じがしたんですが、そこで株式会社、当時のサザビー(現・サザビー・リーグ)を投資対象としてはどうかという話が出たんですね。それで、投資対象でもあるけど経営企画室を立ち上げました。

そもそもサザビーには上場する理由が実はなかったんです。基本的には資金調達という一義的な目的があって、その上で上場して信頼が得られ、たくさんのいい人たちを集めることができる。あるいは企業として認められるということがあると思うんですが、いずれも経営者たちにはそんなにインセンティブになってなかったんですね。お金はあるし。ただ、可能性はあるということで、1年間経営企画として立ち上げ、やるかやらないか考えようというユニークな方針を取りました。

そうしたら僕自身が、ミイラ取りがミイラになってこちらの方が面白くなり(笑)、「来ないか」「行きます!」とサザビーに入ったのが1994年でした。今日の話は、この創業者の右腕的な仕事をさせていただいた10年間のことで、ここが皆さんと共有していく上で価値のある話じゃないかと思います。

スターバックスがどう立ち上がったか、成功したか、しなかったかも大切ですが、特に経営者、創業者、あるいは2代目、3代目になられる方にとっては、「自分の右腕やフォロワーをどうやって培っていくか」ということが本当に重要です。その人たちが真に活躍できる環境になれば、自分がいなくても継続してビジネスが繁栄していく。300年、400年成長し維持できる事業というのは、当然自分がいなくなっても先があることが前提で、それはすなわち「自分の周りの人たちが、自分がいなくてもできる状況をどう作っていくか」ということだと思いますので、そういう観点で聞いていただけたら嬉しいです。

本が2冊あります。最初は『数の神話』という、自分で言うのも何ですけれども、わけのわからない本です(笑)。数というのは、普通にカウンティングする数ですが、実はそこに象徴的な意味があることに気づき、これは面白いと一生懸命探求した本です。何の役にも立たないと思っていたんですが、大学に行ったら「戦略論」や「物語法」などのコンテンツとして役立つことが分かったので、いま一度皆さんに紹介し始めております。

でも今日は何といっても『日本スターバックス物語』。早川書房から去年の5月に出版させていただきました。日本でのスターバックスは、どんなプロセスを経て今日の状況になったのかという本です。まとまった話はなかったし、僕自身は過去の話で全然面白くなかったんですが、出版社や編集長が「梅本さん、ほかの話は面白くない」と。「教科書的で。でも、この話は面白いからちょっと書いてみましょうよ」と乗せられて結局スターバックスのことしか書かない本になってしまったんです。

ただ、振り返ってみると、今日のテーマの「フォロワーシップ」への視点が、実はスターバックスにたくさんあったことに気がつきました。リーダーは大切ですが、フォロワーとリーダーというのはセットであり、このフォロワーにもう少し光を当てると何が変わっていくかということで、この本を書いたのは大変よかったと思います。ライフストーリー論、サードプレイス論であることも標榜している本です。

日米スターバックス物語

最初に「日米スターバックス物語」として、アメリカと日本がどう一緒にやってきたかを見ていきたく思います。

まずはハワード・シュルツ。若い人たちには「ハワード・シュルツ、誰?」と全然通じないんですが、この人が基本です。彼がどうやってスターバックスに魅入られていくかということですが、実は一番大事なのは、フォロワーが現れたこと。この後見ていきますが、ハワード・ビーハーという人が現れて、さらに2番目のフォロワーが現れて、そして理想的なマネジメント・チームが形成されたというのが、アメリカでの一番大事なスタートラインだったと見ております。

ではリーダーにとってこの最初のフォロワー、「右腕」というふうに言い換えてもいいのですが、これがどれだけ大事かを、わかりやすいTED Conferenceの講演動画で見ていただきたいと思います。

動画:デレク・シヴァーズ 「社会運動はどうやって起こすか」(下記URLよりご視聴ください)

http://www.ted.com/talks/derek_sivers_how_to_start_a_movement/transcript?language=ja#t-70858

動画要約

人が思い思いに過ごす野外イベント会場。初めに上半身裸の男が奇妙でコミカルな踊りを踊り出す(「リーダー」)→それに一人の男が加わって、一緒に踊り出す(「最初のフォロワー」)→最初のフォロワーが友達に声をかける→2人、3人と加わると、加速度的に集団が膨らみ、臨界点を超えて社会的な「運動」となった

デレク・シヴァ―スによるまとめ

「教訓をおさらいしましょう。まず彼のように1人で裸で踊るタイプの人は最初の何人かのフォロワーを対等に扱う大切さを覚えておいてください。肝心なのは自分ではなく運動だということです。でももっと大きな教訓があります。お気づきになったでしょうか。最大の教訓はリーダーシップが過大評価されているということです。確かにあの裸の男が最初でした。彼には功績があります。でも1人のバカをリーダーに変えたのは最初のフォロワーだったのです。全員がリーダーになるべきだとよく言いますがそれは効果的ではありません」

梅本:この動画は何回見ても学びがある、面白い動画です。

本を書く話になったときにこの動画を思い出したんですね。これこそスターバックスだったんじゃないかと。そして現在もそうなんじゃないか、そこを見ていきます。

スターバックスの店舗数は、現状、2万店以上あります。先ほどネットで調べたら、マクドナルドで全世界で3万店弱ぐらいなんですね。食じゃなくコーヒーなので、業界により絞られていること、都市型のストレスフルな生活をしている人に憩いの場を与えるということを考えると2万店というのは驚異的な数字ではないかと思います。

これを達成、日本も約1,000店ということで、スターバックスは「巨大な黒船が日本上陸」とイメージされますが、これはあくまでも現在の話で、スターバックスが日本で創業した20年前は全然そうではありませんでした。

アメリカでのスターバックスの歴史は意外と古く、1971年に3人の若者が立ち上げたのですが、実は小売飲食店ではなく、豆を輸入して焙煎して売る豆卸の専門店でした。この会社ができたとき、ハワード・シュルツという中興の祖は、まだ大学生で全然関係なかったんです。

彼はニューヨークの貧しい家庭の出身ですが、苦学して、ゼロックスの営業マンなどをして、全米を飛び回っていたときにシアトルでこのスターバックスに出会い、惚れ込んで入社します。彼は翌年出張でミラノに行き、いわゆるエスプレッソバーといわれるようなスターバックスの本家本元に出会います。そこでは素晴らしい体験を提供していて、バリスタもかっこいいし、アーティストのようにエスプレッソを淹れてくれる。そして地元のなじみのお客さんと粋な会話をしていると。「これがスターバックスに足りないんだ」と。「我々は確かに素晴らしいコーヒーを提供しているがコーヒー体験は全然提供できてないじゃないか」と。

帰国し、それをやりたいと創業者たちに言うのですが全く受け入れてもらえなかった。それでも強引に実験的な店舗を立ち上げますが、シュルツ自体、店舗を運営したことがないのでうまくいかなかったんですね。でもやりたいと、一度スターバックスを辞めてイル・ジョルナーレという、今聞くといかにもイタリアンな名前で「これじゃ成功しないんじゃないか」と思うようなカフェを立ち上げて、確か10店舗ぐらい作りました。しかしやっぱり鳴かず飛ばずで、それでも夢を果たしたいと地元の投資家を説得して、買収して、自分がCEOになりました。

この段階でも彼はもちろんリーダーシップを発揮していますが、これが80年代後半、今世界で、日本で見ているスターバックスがまだ影も形もなくて、象徴的に言えば「1人で裸踊りをしている若者」「バカ者」にすぎなかったときです。

スクリーンショット 2016-07-13 10.26.05

ちなみにいかがですか、このハワード・シュルツの顔、雰囲気。

今アメリカは大統領選挙が始まっていますね。彼は昔「候補にならないか」と何度も言われていますが、アメリカ人はこういう感じの人が大好きですね。もう、そのまま大統領になれそうな雰囲気ですが、彼がいつリーダーになったのかと言えば、この人物、ハワード・ビーハー同じハワードですが、このビーハー氏が現れたときなんです。

スクリーンショット 2016-07-13 10.26.14

こちらはお店の前で撮っていて、象徴的な画像ですが、非常にスター的な華やかさと人を引き付ける魅力を持つシュルツとちょっと地味なビーハーですよね。ビーハーは非常に自然ないい笑顔をしていますが、服装とか雰囲気は、シュルツと大分違いますね。このビーハーが現場の真の総責任者としてスターバックスを本物にしていく立役者だったわけです。

このハワード・ビーハーは89年に引退しますが、まさに「最初のフォロワー」でした。スターバックスは当時約。今は全世界で2万店以上ですが、わずかしかなかったものを500店舗規模へ、システムがないと運営できないレベルまで持っていったんですね。これだけの仕組みを作った人ですが、ハワード・ビーハーの一番すごかったところは「コーヒービジネスじゃないんだよ、俺たちは」と。「我々がやっているのは、ピープルビジネスなんだ」、「コーヒーという商品、サービスを手段として使って、でも、人に体験や喜びや居心地のよさ、そういうものを提供していることなんだ」と変えたところですね。ハワード・シュルツの方は、コーヒーオタクでコーヒーにすっかりのめり込んでいたので、それに対して「いや、コーヒーは絶対的に大事だけど、それは手段だよ」と。「人々に素晴らしい体験の場を提供するのが、我々のミッションなんだ」と逆転させたんです。

先ほどの動画でリーダーに最初につくフォロワーがいて、その後の人たちは、リーダーというよりはそのフォロワーを見ていましたよね。フォロワーはああやってついていけばいいと安心し、そして究極的にはリーダーについていきますが、言ってみれば最初のフォロワーを真似るということであり、その人物がこのオーリン・スミスという人です。

スクリーンショット 2016-07-13 10.26.37

この人はまた雰囲気が違う。シュルツと同じようにネクタイはしていますが、こちらは別の意味で地味な感じです。もともと会計事務所にいた財務や仕組みづくりのプロなので、お店で写真を撮っても何となく笑顔に緊張感が漂う顔になるんですが、この方が入ったことで大きなことが起きたんですね。

理想のマネジメント・チーム

スクリーンショット 2016-07-13 10.27.01

それがこの三角形です。(上部の頂点を示し)ハワード・シュルツはマーケティングの天才です。非常に天才的でメッセージの出し方、どこでどういうプランを作るか直観で決められる人ですね。左下がハワード・ビーハー、これが店舗の守護神として500店舗のベースを作りました。もう1人、右下のオーリン・スミスが仕組みづくりのプロとして来て、この三人がトップマネジメントのチームを形成していきますが、ハワード・シュルツ、ハワード・ビーハー、オーリン・スミスで、ファーストネームを取るとHHOでH2Oになるんですね。化学反応を起こして水になるという意味ですけれども、僕がスターバックスで仕事を始めたときにアメリカから来たスタッフが「H2O 、H2O」と連呼するわけです。何のことか最初はわかりませんでしたが、実はこの3人の愛称がH2Oだった。

彼らは呼んでくれとは言ってないんですよ、一切。ただ、これは結構大事な象徴的エピソードで、普通はハワード、ハワード、オーリン・スミスになるんですね。やっぱり3人にカリスマ性があったことと、アメリカは非常にトップダウンの企業文化ですから、このトップがいるからスターバックスはこんなにお客様に喜ばれているんだと、一線の本部の人たちが言葉にしていたわけです。

日本での創業へ

そのように80年代後半から90年代前半にかけてアメリカでの基本的なマネジメントの構造ができてきますが、日本はどこで関わってくるかということで、角田雄二という人物がいます。彼は、この株式会社サザビーの創業者の、後ほど出てくる鈴木陸三のお兄さんです。実兄ですが、日影茶屋に婿養子に入ったので、角田姓になっているという方です。

この当時ロサンゼルスに渡って、日本のテイスティングを出したフレンチベースの無国籍料理の「CHAYA(チャヤ)」という店をオープンして大評判になっていました。いわゆるロスのセレブリティ、ハリウッド系の人たちがガンガン来て予約も取れないお店でした。そういう意味では、レストラン運営者として成功していたのですが、その角田雄二さんの運営するお店のほんの1ブロックか2ブロック先に、カリフォルニアの1号店だったと思いますがスターバックスのお店ができた。食のプロですから、どんな所か見に行くわけですね。

それで、お店に入ったらまずコーヒーのいい匂いがすると。プロですから、それだけでここは本物のコーヒーを使ってちゃんとオペレーションしてるとわかるんです。でも、もっと惚れたのは、スタッフたち、パートナーと呼ばれるようになるスターバックスの従業員ですね。彼らの雰囲気がすごくいいと。

角田雄二さんはアメリカでレストラン事業をやっていますから、アメリカのチップ文化を嫌な面も含めてよく分かっている。こういうところで働く人たちは、チップをはずむお客さんには笑顔を振りまき、いいサービスをし素晴らしい席へ、そうでもない人は、奥で適当に扱ってと、非常に露骨なことをする。つまりお金が大事だという中で、これはセルフサービスのお店ですからチップなんか取らないのに、一流レストラン以上にいい雰囲気をすべてのお客さんに対して出している。

スクリーンショット 2016-07-13 10.27.36

「これは何なんだろう、すごいな」と惚れ込んだのが1992年です。これが角田雄二さんです。左はタンブラーという、スターバックスが広めたコーヒーを入れる保温装置ですけど、雄二さんのイラストが描いてあります。これはサポートセンターのスタッフが勝手に作っちゃったんです。要するにファンなんですね、働いている人たちは。「雄二さん、雄二さん」、「大好き」という。そういうとっても魅力的なチャーミングな方です。

1992年に出会いましたが、しばらくはお互いにやれるかどうかわからない状況で、これも運命的ですが僕がサザビーに実質的に移った94年に「やっぱり正式にやろうよ」という話になって。それで先ほどのハワード・ビーハー、最初のフォロワーだった彼が、スターバックス・インターナショナルという自分しか従業員がいない会社を作り「俺が海外展開やるよ」とシュルツに言い、単身日本にやってきた。サザビーが相手としてどうなのかを決めなきゃいけないと。

僕はそのとき初めてプロジェクトをやる話になったんですが、ホテルまで迎えに行くと、とても怖いおじさんが出てきて、雰囲気が悪いんですよ。「聞いていたスターバックスの雰囲気と随分違うな」と思い、まずお店を案内して話をしようとチャーターしたマイクロバスに乗り込みました。当時大宮にアフタヌーンティーというサザビーがやっているブランドのお店があったので「見に行きましょう」と。

このお店に入った瞬間にあの怖い顔のビーハーが満面の笑みになって「もう、お前たちに決めた」となりました。「でもまだ今日一日あるし、明日からディスカッションがあるんだけど」と言っても「いい、いい」と。店は回ったのですが、マイクロバスの中で笑い転げるような話、自分の失敗談とか「俺はこんな女に惚れて、こんなことをしたんだ」というような話を延々としている。大豹変ですが、結局、直感で惚れ込んじゃったという話だったんです。

それでスターバックス立ち上げプロジェクトとなった。互いに惚れてというのは素晴らしいことですが、そうは言っても何百店舗、1,000店というのをトップ同士のノリで決めるわけにはいかない。何のための経営企画室室長かとなるので、ちゃんと市場の分析をしたいし、ドトールとかプロントなどが素晴らしいビジネスを当時からやっていますから、本当に勝てるのかを調べなきゃいけない。なので、サザビーとしては過去に一度もやったことがないくらいガリガリやったんですね。ガリガリやったら実は商売はうまくいかないっていう結果が出ちゃったんですね。どうやってもうまくいかないと。

しょうがないので、シアトルに行って会議をしました。行って初めてスターバックスのお店をチームで見て「みんなこんなにテイクアウトをしていくんだ」とびっくりしました。

今、皆さんはセブンイレブンでコーヒーを買ってオフィスに持っていきますよね。あれは当時全くなかったわけです。それこそビジネス街のお店では7時ぐらいにダーッとお客さんが並んで、どんどん持って自分のオフィスに向かっていくんですね。大通りの歩道を歩いて。その姿が何とも言えずかっこよかったんですね。

かっこよかったんですが、これはアメリカ人だからだよだなあと。日本人は歩き食いとかそんなはしたないことはしません、と驚きましたが「そうか」と。本社に行くと、これで僕は半落ちになったんですけど、コーヒーが本物だと説得されたんです。「日本から豆を持ってきなさい」と言われたので、いろんなメーカーのこれはいいと思う高めの豆をザラザラと出した。コーヒーマイスターのスペシャリストが「これがスターバックスの豆です」と出すと、一目瞭然で違うんですね。

片方が日本の豆、これは浅煎り。スターバックスのものはダークロースト、要するに深煎りのエスプレッソ用の状態になっていて、全然違う。潰すとスターバックスの豆は中まできれいに火が通っていますが、日本から持ってきたものは生焼けになっている。

何でこんなに違うかというと、エスプレッソというのが日本ではほとんど飲まれていなかったからなんです。日本の豆でそこまで深煎りすると、単に苦いだけのまずいコーヒーになってしまうんです。アラビカ種の最高級、トップ1%未満のものを現地の人たちと連動しながら自ら買い付けるから、これができるんだという話に「なるほど」と。

実際にコーヒーを飲んだら圧倒的においしいんですね。「スターバックスは本物なんだ、単なるファッションではなくて」という体験でした。でも、先ほど言ったように「数字はダメなんだよ」とハワード・ビーハーに伝えたら、彼は文字通り赤鬼のように怒って「何を言っているんだ」と。「コーヒービジネスじゃなくてピープルビジネスなんだ」と、先ほどのメッセージですね。

「スターバックス体験、スターバックスエクスペリエンスを我々は提供してるんだ」とワーッとまくし立てられたんですけども、「そうはいっても数字が出ないし」と、とにかく帰った。「日本に帰って検討するから少し時間をくれ」と帰国しました。

スクリーンショット 2016-07-13 10.29.21

帰国して、これは鈴木陸三さん、サザビーの創業者で先ほどの角田雄二さんの弟さんですね。写真の通り、日本一かっこいいファッション会社の社長じゃないかと思うんですが、この鈴木陸三さんを中心にシアトルの報告をしたらこのように言われたんです。

持って帰ったスターバックスの紙カップを僕につきつけて「これがかっこいいんだよ」と。「このカップの質感、このロゴ、これがかっこいいんだよ」。もう、その一言でした。「おまえ、どこ見てるんだ」みたいな話ですけれども(笑)。でも、それを言われたときに「あっ」と気づくものがあって、みんなが持って歩いているあのスターバックスのかっこよさ、お店に入ったときのいい感じ、ハワード・ビーハーがなんであんなに怒ったのかを、初めて納得したんですね。

ということは、数字面や競合調査、そういうハード志向の分析調査は絶対必要ですが、発想を逆転して、どうしたらこれが受け入れられるか、そういう定性的な消費者調査をやろうと。スターバックスのコンセプトを絵コンテと物語にして何人かの消費者の方に見ていただき「こういうお店ができたら使いますか」「実はコーヒーチェーンで、アメリカから来たものなのですが」と話したら、男性はほぼ全員、99%以上が「200円以上出さない」と答えたんです。1杯、小さいカップで当時のドトールが180円、プロントが160円なんです。つまり頭の中でチェーン店のコーヒーというのは200円以上は出さないと。喫茶店は別、ホテルも別ですけれど。

だから、200円という前提でシミュレーションをすると、どうしてもスターバックスは仕掛けが大きくてお金がかかるんですね。ドトールのオペレーションの仕方、回転率、効率の中で成り立つんであって、同じことをやってもしょうがない。スターバックス体験できる場所というと、どうしても200円じゃ無理だと、この堂々巡りだったんです。

ところがそのように、魅力ありませんかと定性的に説明をしたら、女性たちが「いや、ほんとにそういう所があるんだったら、私は300円、400円、500円、600円…」と。今でこそスターバックスはたくさんの女性、老若男女が使いますけれど、20年前の女性のコーヒー指向ってほぼ0だったんですね。女性は紅茶。だから、我々はアフタヌーンティーっていうブランドを、女性向けのお店をやっていたんです。でも、その女性たちが「いや、そういうコーヒーショップができたら魅力的だから使ってみる」と。

それで300円で計算し直すと、すべてがうまくいく。1杯200円じゃなくて1杯300円、この100円の差がビジネスモデルとして成立するかどうかの分水嶺だったんです。それで「300円ならできるよ」と、ハワード・ビーハーに調査の結果も合わせて話をしました。彼はとても喜んだんですが、こんな調査をしたことがないので「ほんとに信じていいのか」と鈴木陸三さんに聞きました。「大丈夫です」と言ったので安心し、「じゃあ、戦略を変えて280円で行こう」となった。これで「採算も乗るよね」とスタートしたんです。

非常に大事なのは、このやりとりをすべて対等、フィフティ・フィフティの関係でやってきたことで、そのことは交渉でも最初からしていたんですね。向こうは実は50%以上ほしかったんです。でも、鈴木陸三が出てハワード・シュルツに「俺たち50/50でやりたいんだけどいいかなあ」と言ったら、彼は即答で「わかった、それで行こう」となりました。

これはすごく大変なことなんです。50/50っていうのはデッドロックですよね。お互いに完全に対等ですから、合意しなければどちらがどうするというのは決められないんです。そうなると困るということで、契約の交渉はものすごく大変でしたが、それは突き抜けることができました。

スクリーンショット 2016-07-13 10.30.00

次の図は21,000店以上にどう向かったかというグラフですが、途中から急に伸びていきます。1992年の出会い、94年の交渉、95年の会社設立、そして96年に1号店オープンと続くんですが、このタイミングで仰角で右上がりだったので、出会ったときは黒船なんかじゃ全然なく、太平洋に浮かぶ小さな小舟のようなものでした。だから同じような小舟のサザビーと意気投合してスタートしたんですね。

無事にスターバックスが立ち上がって、ではそれはどういう意味があったのか。少し理屈的にリーダーとフォロワーの関係から見ていきたいと思います。

次ページへ

Top